タウンゼント・ハリス - Wikipedia: "タウンゼント・ハリス(Townsend Harris, 1804年10月3日 - 1878年2月25日)は、アメリカ合衆国の外交官である。民主党員、聖公会信徒。妻子はなく、生涯独身。日本の江戸時代後期に訪日し初代駐日公使となり、日米修好通商条約を締結したことで知られる。"
「唐人お吉」の相方とか、強引な外交交渉スタンスとか、あまりいい印象は持たれていないが、当時は戦争になるのが普通だったアジアでの通商条約交渉を、本国からの支援もほとんどないままたった一人でやり遂げてしまったハリスはやっぱりエライ人である。
ハリスと結んだ条約とは:
日米修好通商条約 - Wikipedia: "日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)は、安政5年6月19日(グレゴリオ暦1858年7月29日)に日本とアメリカ合衆国の間で結ばれた通商条約。幕末の混乱期から明治初頭にかけ、日本が列強と結ぶことを余儀なくされた不平等条約の一つである。幕府は同様の条約をイギリス・フランス・オランダ・ロシアとも結んだ(安政五ヶ国条約)。
内容:
- 条約港の設定。神奈川(1859年7月4日)・長崎(1859年7月4日)・箱館(函館)(もとから)・新潟(1860年1月1日)・兵庫(1863年1月1日)の開港。(下田の閉鎖(1860年1月4日))
- 領事裁判権をアメリカに認める。
- 江戸(1862年1月1日)・大阪(1863年1月1日)の開市
- 自由貿易。
- 関税はあらかじめ両国で協議する(協定税率。関税自主権がない状態)。
- 内外貨幣の同種同量による通用。
- アメリカへの片務的最恵国待遇
ただし、実際に開港したのは神奈川ではなく横浜(7月1日開港)、兵庫ではなく神戸であった。このことは条約を結んだ各国から批判もされたが、明治新政府になると横浜を神奈川県、神戸を兵庫県として廃藩置県することで半ば強引に正当化した。
最恵国待遇については、当初アメリカ側からは双務的な最恵国待遇を提案されたものの、鎖国政策を出来るだけ維持して、一般の日本人に対しては自由な海外渡航を認める考えがなかった幕府側から断ったとする説もある。
貨幣の交換比率は銀貨を基準に定められた。当時の日本の金銀比価は金1に対し銀4.65であり諸外国の相場(金1対銀15.3)に比べて銀が強く、物価は金基準では諸外国と同等、銀基準では格段に安かった。そのため幕府は金貨基準の貨幣の交換を主張するがハリスは銀貨基準の交換を主張して押し切り、金の流出・インフレーションによる経済の混乱を引き起こすこととなった。
特に最後の為替レートの設定については、現在までも評判が悪い。この本(↓)ではハリスのことを、有利な為替レートで自分の老後資金を貯めることだけに興味があった強欲な商人上がりの外交官と糞味噌に書いてある。80年代の日米経済摩擦の最中に書かれた本だけあって、全編これ被害者意識むき出しという本だがどっかの賞まで貰っている。この問題の本質は、当時の日本に於いては金・銀の交換比率が国際基準と違っていたというだけの話。開国する以上、当然金銀交換比率の「裁定(金の流出、銀の流入)」がなされることは当たり前のことに過ぎなかった。
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